今年も鈴鹿4時間耐久ロードレースが開催されました。2024年を最後に44年の歴史に幕を閉じるとアナウンスされており、例年以上にドラマが生まれました。バリバリ伝説に影響を受けて、4耐に参戦することを夢見ていた香港のライダー・ジョンさんは、ドラマの主役の一人です。ジョンさんの最初で最後の4耐参戦をレポートします。
44年の歴史に幕を閉じるバイクの甲子園
鈴鹿4時間耐久ロードレースは、1980年に第一回大会が開催されました。プロレーサーが走る鈴鹿8耐に対してアマチュアライダーが対象のレースで、一時は600台ものエントリーを集める「バイクの甲子園」的な存在でした。このレースから数多くスターライダーが輩出されるなど、トップレーサーへの登竜門として存在していました。
漫画「バリバリ伝説」の影響を受けて鈴鹿4耐に参戦を決意
私が運営するエトワール鈴鹿ツインミニバイク8耐に参加していたジョンさんが神妙な顔をして「4耐に出場したいんだ」と相談してきました。本当に出場するとなると鈴鹿に通わなければならないし、金銭的な面やヘルパーなど、いろんな問題があります。私は本気にしていませんでしたが、話を聞いているうちに「これほど4耐に対して熱い思いを持っている人は日本人でも少ない」と本気度が伝わり、協力することにしました。
参戦に向けて苦難が続く
昔からお付き合いをしている大阪のMOTOWINレーシングの鈴木さんに相談すると、快く受け入れてくれました。「 メンテはこちらで行うけれど、車両は用意して」ということで、MOTOBUMさんから、2022年に晃太くんが全日本チャンピオンを取ったバイクを購入。走行予約など難儀することもありましたが、3月から初走行が可能になりました。
マシンはMOTOWINさんが完璧にメンテしてくれますが、悪天候で走行キャンセルが続き、満足いく練習ができないなど、スムーズにいかないこともありました。毎回香港からやってくるジョンさんは莫大なお金をつぎ込んでいると思うので、夢をかなえてほしいと思いました。
最高のステージが幕を開けた!
4耐の盛り上がりはすでに昔のこと。「現状の閑散とした鈴鹿4耐を見ると、がっかりするんだろうな」と思っていましたが、蓋を開ければ60台もエントリー。8耐と同日開催ではなく、4耐メインの開催となるなど、最後の大会にふさわしいステージが用意されました。
炎天下、転倒、トラブルは続く
本番当日はものすごく暑く、ライダーもスタッフも気が抜けない状況です。ジョンさんのペアライダーのジュンキさんが2回目の逆バンクで転倒。マシンは外装一式がダメになり、いろいろと交換が必要になりました。
優秀なメカさんの懸命な修理により、ジョンさんが再スタートを切ります。しかし今度はジョンさんがヘアピンで転倒。 ダメージが少なかったのでジュンキさんが3回目の走行に挑みます。
チェッカーズフラックで夢の一日が終わる
最後の交代を終えたライダーの安堵した表情がなんとも言えません。 #74号車もジョンさんにチェッカーを受けてもらおうと、最後のライダー交代です。 最後のランを終えて無事に帰還。夢の一日が終わりました。
あの日、ジョンさんから相談を受けたことがすべての始まりでした。当時は半信半疑でしたが、良いチームに出会え、何かしらお役に立てて、私もハッピーな気持ちになりました。香港に行ったときにジョンさんの話を聞くのが楽しみです。
この日の感動は、しんたろう炎の動画「ライダーの甲子園!最終回!鈴鹿4耐が今年で最後!老いも若きも、72歳も香港人もタイ人も参戦!」でご覧ください。
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この記事では、動画「Shintaro.Nakayama 炎のしんたろう」チャンネル協力のもと、モトメガネ編集部で記事を再編集。ジャンル&排気量を問わず、さまざまなバイク情報を取り上げています。