【インタビュー】駆け上がった世界の舞台。阿部真生騎が新たに挑むWSSP
13歳のあるとき、それまで乗ったことがなかったバイクで走り始めたことで、阿部真生騎はレーサーへの道を歩み始める。
そして2023年シーズン、新しい扉が開いた。
真生騎の戦いの場は、世界へと移る。
ダートから始まったキャリア。けれどプロとして考えたのはロードしかなかった
2023年シーズン、スーパースポーツ世界選手権(WSSP)への挑戦をスタートするライダーがいる。阿部真生騎。父は、“ノリック”のニックネームで親しまれ、1990年代から2000年代にかけてロードレース世界選手権で活躍した、阿部典史だ。
真生騎がバイクに乗り始めたのは13歳のときのことだった。
「13歳のとき、お母さんがバイクの練習に行ってみたら、と勧めてくれたんです。僕はあまり行きたくなかったんですけど。最初にダートを走らせてもらったら、楽しくて。それからだんだん練習に行くようになりました」
それまで、バイクに乗ろうと思ったことはなかった。「普通の学生生活を送っていた」と、真生騎は少しはにかむように笑う。それでも、初めて乗ったバイクに怖さは感じなかった。乗り始めて間もなく、ミニサーキットで初めてハイサイドを喫し、バイクから放り出されて真っ逆さまに落ち、鎖骨を折った。そのときも、やめようとは思わなかった。そのエピソードをこれまででいちばん印象に残っている体験、と言いながらも、真生騎の口調はどこか楽し気なのだ。
「逆さまに落ちていくビジョンがすごく鮮明に残ってますね(苦笑い)。でも、鎖骨が折れても意外と痛くなかったのでトラウマにはならなかったです。ハイサイドも骨折も初めてだったから、その一瞬だけ、写真みたいに鮮明に覚えているんですよ」
最初はダートからスタートしたバイクのキャリア。モトクロスなどの選択肢もあったはずだが、プロを目指すにあたり、なぜロードレースを選んだのだろう。
「最初はプロとか全く考えていませんでした。ダートの練習についていくようになって、あるときから桶川(※桶川スポーツランド。埼玉県桶川市にあるサーキットで、数多くのトップライダーが練習に通う)に行くようになって、ロードも乗るようになりました。走る回数としては圧倒的にダートの方が多かったけど、プロとして考えていたのは最初からずっと、ロードでしたね」
それはなぜ?
「一緒に練習していたライダーがロードだったし、僕のお父さんもロードレーサー。プロとしてはロードしかないな、という感じでした」
“ノリック”阿部典史の息子として、レーシングライダーとして
真生騎が父に関して持っている記憶は少ない。世界で活躍したロードレーサー、阿部典史は、2007年に交通事故で亡くなった。真生騎が3歳のときだ。
「自分の記憶は、潮干狩りしたくらいしかないんですけど……」と、真生騎は思い出を辿る。
「なぜかそれだけは覚えているんです。怒られた記憶はないので、優しかったのかな、という印象はあります」
ノリックの息子として注目されることもあると思うけど、と尋ねる。あまり突っ込まれたい話題ではないかもしれない──、ある種の緊張を感じながらも尋ねた質問だったが、真生騎の柔らかな表情は変わらなかった。
「お父さんを応援してくれた人が、僕を応援してくれることが結構あるんです。お父さんがきっかけだとしても、今は自分を応援してくれている。やる気というか、力になります。プレッシャーはないです。早く結果を出して、喜んでもらえるように、がんばりたいなと思います」
1回走ればコースは覚えられる!
真生騎は2022年末からスペインに滞在し、2月中旬までに、チームとともに2回のテストを終えていた。スペインでの生活について聞くと、「言語が違うくらいで、環境の変化でストレスとかはなかったです。コンビニがないことくらい」と笑う。真生騎は自分の性格を「全てにおいて気にしないというか。なるようになる、という性格」と表現しているのだが、なるほど、肝が据わっているというか、環境が変わったくらいでは戸惑うことはないようだった。
では、初めて走らせたWSSPマシンの印象はどうだろう。真生騎は2023年、VFTレーシング・ヤマハというイタリアのチームに所属。ヤマハYZF-R6を駆る。
「(アクセルの)開け始めがピーキーで振れ幅がすごい。最初はそこにびっくりしました。回転の上がり方も直線も速くて。(これまで乗ってきたバイクとは)全然違うなと思いました」
ヨーロッパでのレースは初めてのこと。マシンはもちろん、初めて走るヨーロッパのサーキットにも慣れていかなければならない。どうやって順応していっているのだろう? そう聞くと、やっぱりなんでもないことのようにこう答える。
「初めてのサーキットしかないので、まず動画を調べて、見て。そのあと1本走ったら覚えられる、という感じですね」
1回の走行で覚えられるって、すごいですね。と言うと、真生騎は「そう、すごいですよね!」と無邪気に笑った。
「自分でも初めてのサーキットは覚えられなさそうだな、って毎回感じてはいるんですけど、二十数分の走行を1本走ったら、ギヤとかライン取りはだいぶ把握できるようになってくるんです」
「これまで走っていた日本のサーキットは限られてくるので、新しいサーキットを走ることはなかったんです。でも、向こうに行ってみて初めてそういうことを感じました」
今のレーシングライダーの多くが幼少期からポケットバイクに乗り始めることを考えると、真生騎のスタート地点は遅かった。けれど、真生騎はそこからひたすらバイクを走り込み、17歳で全日本ロードレース選手権ST600への参戦を開始すると、18歳となった2022年には全日本のほか、アジアロードレース選手権、鈴鹿8耐など数多くのレースに参戦して、経験を積み上げていった。これまでの数年間で築いた、凝縮されたたくさんの経験が、真生騎の引き出しになっているのかもしれない。
「そうですね。バイクに乗っている量がすごく多いので。無意識に、細かいところもよくなっていっているのかもしれないです」
真生騎が走り続けるモチベーション
そんな真生騎にとって、レーシングライダーとしてのモチベーションはどこにあるのだろう?
「自分のタイムが上がっていくのが楽しい。それがいちばんにありますね」
いちばんのライバルは、過去の自分?
「毎練習、タイムを更新するという気持ちでやっているので、毎回のタイムをどれだけレベルアップしていけるか。そういうところで言うと、ライバルは自分なのかな、と思います」
「例えば、走っていてベストタイムが出たら、次はもうちょっと突っ込んでみよう、って突っ込んでみる。成功したらもちろんタイムは上がるし、失敗したらそれ以上はいけないんだなと思って、別のコーナーで、例えばブレーキを早くしたり遅くしたりします。そういうトライ&エラーは、けっこう大事かなと思っています。考えながら走らないと成長しないから、毎周、毎コーナー、考えて走るようにしています」
2023年シーズンの目標は?
「転んだら経験にならない。最初の3レースくらいは転ばないことを意識して、周りから勉強しつつ、最後にはトップ5に入れたら、万々歳ですね!」
それでは、今後、どういうライダーになっていきたいですか? と、さらに先の未来について質問する。真生騎が目指すものは、ふたつあった。
「MotoGPに参戦して、目指すは1位。それから、見ていて楽しいというか、見ていて飽きないようなライダーになりたいな、と思います」
阿部真生騎の2023年シーズン開幕戦は、4月21日から23日にTT・サーキット・アッセンで行われるオランダラウンド。阿部はヨーロッパラウンドのみに参戦する“WorldSSP Challenge”のライダーとなるため、第3戦からの出場だ。阿部真生騎の世界への挑戦が、始まる。
阿部真生騎(あべ・まいき)
2004年1月17日生まれ。東京都出身。
13歳からバイクに乗り始め、17歳となった2021年から全日本ST600に参戦。2022年は全日本ST600をはじめ、JSB1000、鈴鹿8耐、アジアロードレース選手権などを戦ったほか、ヤマハとバレンティーノ・ロッシによる若手育成プログラム、ヤマハVR46マスターキャンプにも参加した。2023年シーズンはVFTレーシング・ヤマハからヤマハ・YZF-R6を駆り参戦する。
スーパースポーツ世界選手権(WSSP)
スーパーバイク世界選手権(WSBK)に併催される、市販車をベースにした車両で争われる選手権。以前は600ccクラスのバイクで争われていたが、2022年シーズンからレギュレーションが変更され、2023年シーズンはカワサキ・ZX-6Rやヤマハ・YZF-R6、ホンダ・CBR600RRとともに、ドゥカティ・パニガーレV2、MVアグスタ・F3 800RR、トライアンフ・ストリートトリプルRS 765が参戦する。
テキスト:伊藤英里