バイクが宙を舞う「フリースタイルモトクロス」を見たことがありますか。ランプと呼ばれる鉄のジャンプ台を使って約15mまで舞い上がり、放物線を描いているわずかな時間に、さまざまな技(トリック)を決めるアクションスポーツです。海外では「X Games」などの競技として採用され、日本人ライダーの東野貴行選手が何度もメダルを獲得しています。その歴史と興奮を紹介します。
チーム「MX VIRUS」結成で日本FMXの歴史が始まる
日本で最初にフリースタイルモトクロス(以下:FMX)を始めたのは、モトクロスライダーの佐藤英吾選手(以下:佐藤選手)と加賀真一(以下:加賀選手)でした。二人はアメリカでのモトクロス留学中に見たFMXに影響を受け、帰国後に自主イベントを開催しました。
2000年ごろ、モトクロス仲間が集まってFMXチーム「MX VIRUS(当時はMX VILUS)」を結成します。アメリカではX Games 2002で、マイク・メッツガー選手がバックフリップ(後方宙返り)に成功。この技を習得することが世界に挑戦するための鍵になりました。
2003年10月1日、佐藤選手が日本で初めてバックフリップに成功。その直後に鈴木大助選手(以下:鈴木選手)も成功し、「日本のFMXは世界より1年遅れ」と言われた距離が縮まりました。FMXは少しずつ注目され、国内でもデモンストレーションのイベントが増えてきました。同年のB’zのドームツアーにも参加。世界進出に向けて足固めが進められました。
日本から世界へ
2005年にスペインで開催された「RED BULL X-Fighters」に、佐藤選手が日本人として初参戦しました。以降も絶え間なく参加し続け、2009年には総合3位に入賞する快挙を遂げています。佐藤選手は仲間が世界に羽ばたくための登竜門として、2008年に日本初の大会であるGO BIGを開催しました。これをきっかけに、鈴木選手、東野選手、釘村孝太選手、渡辺元樹選手などが世界的大会に進出しています。
トリックは自分との闘い
FMXはスピードを争うのではなく、技(トリック)を競う競技です。レギュラートリックと呼ばれるべーシックな技と、バックフリップと呼ばれる後方宙返り、その2つを掛け合わせたコンボの3つが基本となります。
ウィップ
バイクを寝かせる技です。シンプルですが、ひねり具合によって個性が分かれるため、ウィップだけのコンテストも開催されています。
ツナミ
ハンドルに逆立ちする技です。東日本大震災以降、被災者に考慮してK.O.D(Kiss Of Death)と呼ばれることが多くなりました。この技とバックフリップを組み合わせると大技になります。
ロックソリッド
空中でハンドルから手を放し、バイクと並行して宙を舞う技です。東野選手は、バックフリップ・ロックソリッドをメイクして「X Games 2012」でベストトリック部門でゴールドメダルを獲得しました。
シャオリン
ハンドルより前に飛びだして大きく足を開く技です。少林寺拳法の型に似ていることから少林=シャオリンと呼ばれるようになりました。この技ができるライダーはわずかです。
ヒールクリッカー
踵を合わせるシンプルな技です。踵を合わせている時間を長くしたり連続で行う、バックフリップを取り入れるなど、独自のスタイルが求められます。
デットセラー
まったく技が入れられないジャンプをデットセラーと呼びます。世界的な大会ではコンボが求められるため、普通のバックフリップではデットセラー扱いになり減点されます。
運命のRed Bull X-Fighters Osaka 2013
2013年6月にアジア初となるX-Fighters大阪大会が決定。佐藤選手と東野選手が参戦し、日本中にFMXブームが押し寄せることが期待されました。しかし2月28日に佐藤選手は練習中の事故で帰らぬ人になりました。
佐藤選手の追悼となった大阪大会は大いに盛り上がります。ファイナルで東野選手と佐藤選手を慕っていたトム・パジェス選手(フランス)の対戦が決まると、会場のボルテージが最高潮に達しました。片時も目が離せない展開の中、東野選手が僅差でポイントを上回り、初優勝で幕を閉じました。
迫力をLIVEで体験してほしい!
一時期よりも少なくなりましたが、FMXのイベントは全国で開催されています。イベントのスケジュールや出演依頼は、「FMX SHOW CASE」で確認できます。軽快なビートに合わせてバイクが宙を舞う迫力は、ナマで体験しなければ伝わりません。ぜひ出向いて歓声を送ってください。