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激烈チョロバイ伝説 ステージ11 ヤマハの歴史と時代を彩ったバイクたち

※記事内容は全て執筆時点の情報です。

楽器とバイク、異なる二つの製品を製造するヤマハですが、その歴史は楽器からスタートしました。ヤマハのエポックメイキングになったバイクとともに、会社の歴史や開発経緯を紹介します。

目次

ヤマハの歴史は楽器から始まった

ヤマハの社名は、創業者の山葉寅楠が由来となっています。浜松市でオルガン修理師を生業としていた寅楠は、オルガンの製造も手がけるようになりました。1897年に日本楽器製造株式会社を設立。翌年に社章として「音叉(楽器のチューニング機器)をくわえた鳳凰図」が採用されました。さまざまなデザインに変更されたのちに、2016年にシンプルな音叉のロゴに統一されました。

軍需から平和産業に転換


日本楽器は楽器製造で培った技術力を活かして、1921年に木製プロペラ、1931年に金属製プロペラの製造を開始します。プロペラ用の試作エンジンの制作や、ピアノフレームの鍛造も作成するなど、すでにバイク作りに必要な技術を獲得していました。

出典:ヤマハ発動機

太平洋戦争が終わり軍需が縮小した1950年、日本楽器の社長に就任した川上源一はバイク事業に進出する決断を下します。業界後発ながら1954年に「YA-1」を完成。1955年に開催された浅間火山レースの125ccクラスで表彰台を独占するなど、圧倒的なスピードを見せつけたのでした。

新車で買えるビンテージSR400

SR400は1978年に発売されました。車名のSRは「Single Road sports」の略です。エンジンの主流が2ストから4ストへ変わり、多気筒化によるハイパワーが求められる中、時代に逆行するように日本初のビッグシングルスポーツとして発売されました。スリムな車体にオフロードモデル・XT500ベースの空冷単気筒エンジンを搭載。いぶし銀の魅力で一部のツウに評価されました。

古いメカニズムを継承したため「バイク界のシーラカンス」などと揶揄されていましたが、90年代初頭に始まったネイキッドブームの中で注目されるようになります。カスタムベースの要素もあり、2018年に生産が終了しましたが、今でも高い人気を誇っています。

元祖ナナハンキラーRZ250

RZ250も、ヤマハを代表する名車です。巷では開発経緯について「ヤマハ2ストロークスポーツの火を絶やさないため」と言われていますが、ヤマハ発動機公式ホームページで開発陣は「ヤマハ最後の2ストロークスポーツを作ることが目標だった」と証言しています。

「2ストロークでなければ達成し得ない走り」をコンセプトに開発され、胸のすくような加速感を実現。その運動性の高さから「ナナハン(当時の国内最大排気量750ccのバイク)キラー」と呼ばれました。ちなみにRZの「R」はヤマハ社内で350cc(兄弟モデルとしてRZ350が存在していた)、「Z」は水冷を意味しているそうです。

コレが最後の2ストローク ビーノ


忘れてはならないのがスクーターの存在です。バイクに興味がない女性ユーザーも多く、「楽器で馴染みがある車名だからヤマハを選んだ」という人もいるほど。オシャレなヤマハブランドはバイクでも優位に働いていました。

ビーノの初代モデルは1997年に発売されました。3KJ型 49cc 強制空冷2ストローク単気筒エンジンを搭載。実はこれ、レーサーなどを除いて国内販売におけるヤマハ最後の2ストロークエンジンを採用したニューモデルなのです。「最後のモデルはランツァ(DT230)だろ?」と言う方もいますが、同じ1997年に発売されていますが、ランツァは1月10日、ビーノは3月8日に発売されているので、ビーノの方が後です。

女性も意識したファッショナブルなデザインや、CMに当時人気だったパフィーを起用して売れ行きも好調。クラシカルな外観の特別仕様車も追加発売されました。2004年3月29日のモデルチェンジにより、エンジンが4ストロークに変更。生産工場も台湾に移されるなど、ヤマハ2ストロークの歴史が人知れず静かに幕を下ろしました。

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