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阿部 真生騎伝説はここから始まる!「23年世界選手権へ挑戦」

※記事内容は全て執筆時点の情報です。

阿部 真生騎選手を3年間追いかけた映像は彼の成長を追っています。動画の最後には本人のインタビュー動画もありますので、ぜひ最後までご覧ください。

阿部ファミリーは三代続くレーサー一家

阿部真生騎選手は、ノリックの愛称でお馴染みの「阿部典史選手」のジュニアであることは有名ですが、実は祖父から三代続くレーサー一家です。おじいちゃんは「ノリパパ」と呼ばれ、孫の指導にも熱が入ります。

阿部 光雄(祖父)


元オートレース選手「阿部 光雄氏」が真生騎選手のおじいちゃんです。川口オートレース場所属で、雨の日に強いことから「雨光雄」とも呼ばれました。

息子でロードレーサーの典史との関係で交流のあった元ロードレースライダーで1995年・1996年のロードレース世界選手権(WGP)125ccクラスチャンピオンの青木治親選手をオートレースに転向させるきっかけを作った人物です。通算優勝回数71回、1着1407回、2着1013回、3着
893回と、輝かしい成績を残しています。

阿部 典史(父)


5歳からバイクに乗り、ポケバイ、ミニバイクレースを経験しました。15歳で渡米しダートトラック、モトクロスの修業を開始しました。全日本ロードレース選手権フル参戦一年目の1993年に、最高峰クラスの500ccクラスで史上最年少の17歳でチャンピオンを獲得。同クラス最後のチャンピオンに輝きました。

前年度に国内500ccチャンピオンを獲得したことによるワイルドカードとして、1994年ロードレース世界選手権(WGP)日本GPにスポット参戦。ケビン・シュワンツ、マイケル・ドゥーハン等と苛烈なトップ争いを繰り広げながらも残り3周で転倒リタイアするという衝撃的なデビューを飾りました。

1995年よりWGPフル参戦を開始。1996年の世界GP第3戦日本GP(鈴鹿)では、1982年の片山敬済選手以来となる500ccクラス日本人ライダーによる優勝を達成。2005年にはスーパーバイク世界選手権に参戦、2007年より13年ぶりに全日本ロードレース選手権(JSB1000クラス)に復帰を果たし、6戦を終え総合3位をマークしていました。

悲劇は公道で起こりました。2007年10月7日午後6時20分頃、神奈川県川崎市川崎区の片側2車線の市道の右側車線をヤマハ・T-MAXで北上していたところ、左側車線から突然Uターンしてきた4トントラックに衝突。午後8時50分過ぎに搬送先の病院で息を引き取り、32年の人生を終えたのでした。

ノリックジュニアから「阿部真生騎」へ脱却!

当時、真生騎選手は3歳。父親の記憶はほとんどないそうですが「優しかったことだけは覚えている」と言います。真生騎選手がバイクに乗り始めたのは13歳のときのこと。母親の勧めでダート走行から始めたそうです。オフロードではなく、ロードレーサーになったのは、父親と同じ道を歩むことが当たり前だったからだそうです。

ピレリ―のインタビューでは、ノリック・ジュニアと呼ばれることについて「父を応援してくれていた人が自分を応援してくれることも多い。父をきっかけに自分を応援してくれることが嬉しく、プレッシャーよりも力になる」と答えています。

しんたろう炎の動画「ノリックJr事阿部マイキ!ついに23年世界選手権へ挑戦!インタビューもあります!」には、真生騎選手の3年間の奇跡が詰まっています。どうぞご覧ください。

参考資料
Wikipedia 阿部典史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E5%85%B8%E5%8F%B2
【インタビュー】駆け上がった世界の舞台。阿部真生騎が新たに挑むWSSP
https://pmfansite.com/pirelli/article/2023/0301001900.html

注目のバイク動画を紹介!

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この記事では、動画Shintaro.Nakayama 炎のしんたろうチャンネル協力のもと、モトメガネ編集部で記事を再編集。ジャンル&排気量を問わず、さまざまなバイク情報を取り上げています。

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